ヒストリー|【公式】千住 ザ・タワー|「北千住」駅徒歩3分・超高層30階建・制震タワー|三菱地所レジデンス、三菱倉庫株式会社、杉本興業株式会社が贈る新築分譲マンション

千住宿模型 ※出典:足立区立郷土博物館所蔵

千住宿模型 ※出典:足立区立郷土博物館所蔵

SYMBOLIC PLACE

四百年都市・千住の華やぎの中心地

江戸四宿、
最大級と謳われた千住宿。

江戸時代初頭の1625年に日光街道の初宿に指定された千住宿。以来、参勤交代に加え、日光へ参詣する大名一行が、人馬を休め、旅支度を整える場として重要な役割を担ってきました。日光街道に加えて、奥州街道の初宿でもあり、また水戸街道の起点であり交通の要衝であった千住宿は、江戸時代末期には人口、家数ともに江戸四宿最大※5と記されるほどに発展しました。

富獄三十六景従千住花街眺望之不二 ※出典:国会図書館所蔵

富獄三十六景従千住花街眺望之不二
※出典:国会図書館所蔵

名所江戸百景 千住の大はし ※出典:国会図書館所蔵

名所江戸百景
千住の大はし
※出典:国会図書館所蔵

森鴎外、村越父子、松尾芭蕉…。
受け継がれる文芸の風土。

大名や公家、さらに江戸庶民たちが記した旅の記録に数多く登場する千住宿。なかでも代表的な旅人は、1689年、「奥の細道」の旅を千住宿から始めた松尾芭蕉。1815年の「千住の酒合戦」には琳派を再興した絵師・酒井抱一ら江戸の文化人が参加。幕末から明治にかけては、酒井抱一門下の絵師・村越父子(其栄・向栄)が千住に移住。明治時代には、近代の文豪・森鴎外が居住したことで知られます。

建部巣兆 芭蕉図 ※出典:足立区立郷土博物館所蔵

建部巣兆 芭蕉図
※出典:足立区立郷土博物館所蔵

村越向栄 十二ヶ月花卉図屏風 ※出典:足立区立郷土博物館所蔵

村越向栄 十二ヶ月花卉図屏風
(左:三月桜
中:七月朝顔女郎花撫子
右:十月楓)
※出典:足立区立郷土博物館所蔵

千住宿の年寄屋敷跡地にして、
明治時代の森鴎外自居跡地。

史書を紐解けば、現地は年寄久右衛門、年寄紋右衛門の屋敷跡とされています。当時の年寄とは、町や村などで指導的な立場にあった者の呼称です。また、明治時代の現地は、森鴎外の自居・橘井堂医院(きっせいどういいん)の跡地にあたります。軍医であった森鴎外は、この地で本格的な文筆活動を開始しました。また、現地の旧日光街道に面した敷地は、昭和初期の東京帝大教授であり経済学者であった河合榮治郎の自居跡地とされています。

森鴎外 ※出典:国会図書館所蔵
森鴎外自居・旧橘井堂位置図

森鴎外自居・旧橘井堂位置図
※文献資料「千住宿と足立」(勝山準四郎著/1981年6月刊)を参考に制作したイメージイラストです。(1981年刊行時の地図中に旧橘井堂医院の位置を記したもので、「小沢医院」を除く他の施設は現存しておりません。)

森鴎外 ※出典:国会図書館所蔵

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